わんぱく相撲長門場所

こんにちは、長門市議会議員のひさなが信也です。


本日は、待ちに待った「わんぱく相撲長門場所」開催日でした。


心配された天気もなんとか雨も降らず、

少し肌寒さはありましたが、無事に開催することができました。


今朝は、8時から全体準備開始。


近年は、新型コロナウイルスの影響で

なかなか通常開催ができていませんでしたが、

久々に通常開催に限りなく近い形で開催することができました。


長門青年会議所に在籍して7年目となり、

その間、毎年行われていた「わんぱく相撲」ですが、

下関青年会議所との交互開催や、

日程が合わないことから、

しっかり朝から参加することができたのは

これが2度目でした。


事前準備(理事会での資料作成から)も

何からすれば良いのかほとんどわからない状態から始めましたので、

先輩や長門市相撲連盟の皆様のご協力をいただきながら

今日まで四苦八苦いたしました・・・。


また、開催場所も以前と違い、

飯山八幡宮内の屋外土俵での開催でした。


相撲は神事ということを聞いたことがあるかもしれませんが、

日本の国技である相撲については、

知れば知るほど面白いことがあります。


●相撲の歴史

日本の相撲の歴史は、2000年以上に始まりました。

古事記や日本書紀の古い記録には、

相撲の取り組みのもととなった力比べの話が記載されています。

古い時代の相撲は、現在のルールと異なり、

殴る・蹴るを含めた男たちの力比べの戦いでした。

武芸や武道でありながら、神事や祭りとして発展してきた相撲の歴史を辿ると、

相撲が古くから世代と共に人々に愛されてきた経緯や、

現在の形になるまでの歩みを知ることができます。

相撲の起源や始まりは、闘争本能から生まれた

力比べや取っ組みあいといった男たちの戦いでした。

日本の古い記録には、相撲がいつから始まったのかといった経緯や、

神様と人間それぞれの相撲の取り組みの起源が記されています。


●相撲の語源

相撲の語源は、スマヰまたはすまひ(争ひ)であると考えられます。

スマヰやすまひは、争うや負けまいと争うといった意味となり、

スマヰやすまひがすまふへと言葉が変化していくうちに、

名詞化されて現在の相撲(すもう)になったという説が有力です。


この語源のとおり、会場では参加者の小学生が

真剣に体をぶつけて争っていました。


そして、「負けまい」という気迫あふれる戦いが繰り広げられました。


真剣に勝負するからこそ、負けて涙を流す子どももいました。


正々堂々と真正面から戦い、勝っても負けても土俵を降りるまで

相手に敬意を払い、礼を重んじる文化は、日本ならではのすばらしさを感じました。


子どものころからこういった礼を重んじる競技に触れることは

成長していく過程で大切なことだと考えます。


また、そういった大切なことを真剣に指導していただける環境が

この長門市にあるということも素晴らしいことです。


今回は総勢50名を超える子どもたちが各部門で試合を行いました。


この大会は、以前の記事でも書きましたが、

わんぱく相撲全国体の予選会も兼ねています。


4年生から6年生男子の優勝者は、

10月に両国国技館で行われる全国大会の切符を手にしました。


優勝者たちはこれから、全国大会までの期間、

それぞれ練習を重ね、全国の舞台でも輝きを放つはずです。


両国国技館で相撲を取れる機会なんて、本当にめったにありません。

10月に行われる全国大会の予選は、

もちろん全国各地で開催されるのですが、

山口県では、この「わんぱく相撲長門場所」だけとなっています。


子どもたちの世界が、視野がひろがるきっかけを、

この長門の地から作れることは、

僕たちとしても大変誇らしいことです!


勝っても、負けても得るものは必ずある!


彼らが全国大会でも実力を発揮できるように、

長門青年会議所の一員として、

僕もしっかりサポートしていきます!




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下記のアドレスまでお願いいたします。

もちろん、記事の内容に関わらず市政全般のことや、

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ひさなが信也

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