春ですね。

こんにちは、長門市議会議員のひさなが信也です。


昨日は、息子の入園式に

行ってきました。


僕自身が通った幼稚園に

息子も入園することになり、

園のなかも昔とは変わったなぁと思いました。


具体的にどういうところが変わったのかは

わかりませんが、

いや、もしかしたら変わってないのかもしれません・・・。


ただ、当時と僕自身の

視線や視点が変わったことは

明らかなので、

そう考えると、大人になったなぁと

しみじみと感じました。


入園式では、

たくさんの子どもたちや、

保護者の方、先生方を前に、

ずいぶん緊張していた様子の息子でしたが、

次第に緊張もほぐれ、

入園式後は部屋の中を走り回っていました・・・。


たくさんのお友達と、

たくさんの学びをして、

いろんな経験を積んでほしいなと思いました。


夕方は、赤崎山へ桜を見に行きました。

散り始めてはいますが、

赤崎山の桜は今年も綺麗でした。


そのあと、グランドで息子と遊んで、

楽桟敷の一番高いところまで

息を切らしながら息子と登りました。

(抱っこしている時間が圧倒的に長かった・・・)


僕たちが学生の頃は、

本当に休みがあればこの赤崎山で

鬼ごっこや缶蹴りをして

日が暮れるまで遊んでいたので、


とても懐かしく、

当時よく通っていた道で下までおりようとしたのですが、


以前のような道ではなく、

草がたくさん生えていて、

なかなか小さい子どもが歩けるような

状態ではありませんでした。


この状態がいいかどうかは別として、

最近の子ども達が

この道を通っていないんだなぁと

思うと、少し寂しいものがありました。


遊具にしても、

安全面の観点から、

撤去されたものもあり、

仕方のないこととはいえ、

これまた寂しいものがありました。


息子と登った楽桟敷は、

国指定の重要有形民俗文化財となっています。

国指定の「桟敷」は、国内に2件しかなく、

とても珍しいそうです。

桟敷は古くから所有者が決まっていて、

その占有権はかなり高価な値段で売買されていたそうです。

往時の所有者は、上層農民を主として、

個人持ちのほかに祭組の楽桟敷・南条桟敷・

芝居桟敷・宮桟敷などがあり祭礼当日は

重箱に酒肴を持参し見物したようです。

昭和38年に文化財に指定される際、

占有権・所有権を有するすべての人が

赤崎神社に権利を奉納し、

神社がまとめてそれを市に寄付。

現在は長門市の所有となっています。


僕が住む自治会では、

2年に一度、楽踊りを奉納します。

「月の前の伶楽」という楽踊りを

地域の子どもから大人まで総出で行います。


僕も小さいころから、

この楽踊りに触れて育ってきました。


人口減少や少子化に伴い、

地域の文化を継承していくことが

難しい世の中になってきています。


しかし、地域の方が大切に守られてきた

文化を守っていくことは、

地域を守っていくことと

イコールだと思っています。


僕たちの世代はまさしく、

その継承を率先して

取り組むべき世代です。


なぜ、そういった文化があるのか

そういう根っこの部分から勉強して、

子ども世代、孫世代、

その先もずっと継承していけるよう

努めていきたいと思います。


時代の変化に伴って、

変わるべきものはもちろん必要であり、


そういった情報を早くキャッチして

率先して取り組んでいくことが

求められる世の中です。


しかし、反対に、

変えてはいけない、

守っていかなければならないものも

地域の中にはたくさんあります。


なにを変えて、なにを変えてはいけないのか

長門市の未来をどう作っていくのか

そのビジョンなくしては

判断ができません。


現状をしっかり見つめ、

未来を思い描き、

ひとつひとつ判断・選択をしていかなければ

ならないのだと思います。


「幼稚園」「赤崎山」

という二カ所で

僕が小さいころと現在の違いを感じ、

こういうことって市内でも

もっとたくさんあるんだろうな~と思いました。


意図した方向で変わったのか、

思いとは裏腹に変わってしまったのか、

変えたいと思うけど変わらないのか、

守りたいが故にかわってないのか、

いろんなパターンがありますが、


その方向が

市民の方々のプラスにちゃんといくように

地域や、課題を抱えている世代に

寄り添った議員活動が出来るように

今後も努めてまいります!

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